ST介護職の考え事

認知症・高次脳機能・ケアについての覚え書き

認知症の記憶障害「同じことを何度も聞く」への対応ー記憶障害の外的補助手段ー

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 認知症の記憶障害によるよくある症状の1つに、

「同じことを何度も聞く・尋ねる」というものがあります。

 

それ自体はなんてことありませんが、一日に何度も、それも2-3分おきに同じことを聞かれるストレスは、介護者の大きな大きな負担になります。

 

今回は認知症の方の「何度も同じことを聞く」「伝えたことをすぐ忘れる」症状に対しての、外的補助手段(道具を使った対応)をご紹介していきます。

 

認知症の「同じことを何度も聞く」症状への対処法

認知症の方が「同じことを何度も聞く」のは、中核症状である記憶障害によるものです。

加齢による物忘れが記憶の保持・想起に低下を認めるのと異なり、認知症による記憶障害では記憶の記銘から低下を認めます。

(記銘・保持・想起について、詳しくは下の記事をご参照ください)

 

ryo-kobayashi.hatenablog.com

 つまり、認知症では与えられた情報を頭の中に書き留めることがそもそもできていないので、「覚えた感」「聞いた感」もありません。(加齢による物忘れでは、この「覚えた感」「なんかそんなこと聞いたかも感」があることが多いです)

 

そのため「さっきも言ったでしょ!」「何回同じこと聞くの!」は全く無意味です。

強い語気や硬い表情を向けられ叱責されることは、認知症の方の自己効力感や自己肯定感を下げ、巡り巡ってBPSDに繋がることもあります。

 

その方の世界の中では、1分前にも同じことを聞いたことなんて起こっていなくて、今初めてそれを聞いている、ということを理解して接することが大切です。

大切ですが、1分毎に同じことを聞かれるとこちらもイライラしてしまいます。忙しい時はなおさらです。

 

だから、情報を常時/その方が記憶を保持できる間隔で呈示する外的手段が必要です。

 

ローテクエイドーメモ帳の活用法

記憶の外的補助手段として真っ先に上がるのが「メモ帳」です。

分かりやすいメモ帳だけでなく、紙に「通帳は息子さんが持っています」など書いて見えるところに貼っておく、なども大きく分類するとメモにあたります。

 

メモは紙に字を書くだけと簡単にでき、文字を認識できる視力と文字理解が可能であれば効果が期待できます。

記憶障害が前景に出るアルツハイマー認知症では、文字理解は比較的保たれやすく、文字情報の呈示は効果的であることが多いです。

 

一方で、メモは「見てもらえないと効果がない」という部分が大きな欠点です。

その欠点をカバーしていくメモ帳の選び方・使い方をご紹介します。

 

全面付着の付箋を手の甲や腕に貼る

 書いたメモに気付く最も単純な方法は、メモを体の見えやすい部分(よく見る部分)に貼っておくことです。

下にあるようなテープ式の付箋にメモを書き、手の甲や手首に貼ることができます。

大切な事、よく聞かれることは両腕に付けておくと目に入りやすいです。

 
使い捨てではないものでは、腕に巻き付けるメモバンド「ウェアラブルメモ」という商品も出てきています。
 
 

 

こちらはto do List形式で記入できるものです。

使い方によっては便利そうですが、字が小さくなってしまうのが難点…

 

こちらは一般的なウェアラブルメモ。割と大きな字で書けます。
指でこすったり、消しゴムで消すことができます。
 
帽子式目の前メモ帳

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もの忘れ対処用メモ帳類 - gensoshi ページ!

こちらは安田清先生が考案された帽子のつば部分にワイヤーをつけ、常時メモ帳を目の前にぶらさげられるようにしたものです。(サンバイザーでも可能とのこと。頭が蒸れてとってしまうのを防ぐためにはサンバイザータイプの方が有効とのことです。)

 

認知症の方は周囲の空間の注意探索が低下していることも多いため、常に目の前にメモがぶら下がっているこのメモ帳は「メモを見てもらえない」という事態を回避するには有効です。

 

ただ目の前にぶらさがっているため邪魔に思われる方ももちろんいると思います。

適応が限られるかとは思いますが、はまる方にははまりますので試してみる価値はあります。

 

ローテクエイド-ホワイトボード・伝言板

 ホワイトボードに日付や覚えてほしいことを書いてみていらっしゃる方は多いと思います。

マーカーで書いてしまうとこすれて消えてしまう可能性が高いため、磁石にかいて貼ったり、紙で張り付ける方が安心です。

 

目に入りやすくするためには、お孫さんやペットの写真を貼ったり、接近照明ランプやセンサーを付け、光や音を出すようにしてみましょう。

 

 

 
夜間用には光るブラックボードを使う方法もあります。(多少値段ははりますが…)
 
 

 

ミドルテクエイドーICレコーダー

 認知症の方の記憶障害への対応としてICレコーダーを使う時の便利な機能は、【アラーム機能】と【リピート機能】です。

それぞれの活用方法をご紹介します。

 

ICレコーダー活用法-アラーム機能-

ICレコーダーは再生時間を指定して録音した音声を流すことができます。曜日ごとの出力が可能なものもあります。

 

自験例です。

毎食後に「ごはんをください」と10分おき程度言いに来る方に対して、時間帯(食後)を指定し「朝/昼/夜ごはんは食べ終わりました。次は○時に昼/夜/朝ごはんです」という音声を流すようにしました。(音声-5分無音-音声を3セット)

日中車いすに常時座っている方でしたので、車いすのアームレストに袋に入れたICレコーダーを括り付けて使用しました。

この方はこの対応で毎食後の食事の要求はなくなりました。

 

在宅の方ではデイサービスの日に「今日はデイに行く日です。準備をしましょう」、休みの日に「今日はデイは休みです」と入れて使用することも有効かと思います。

薬の服薬忘れ対策にも使用可能です。その場合には薬を設置している場所に近くにICレコーダーを置いておくと良いでしょう。

 

見える形で置いておく場合には、「この機会は触らないでください」等の紙や付箋を巻いておいた方が無難です。

 
ICレコーダー活用法-リピート機能

「同じことを繰り返し聞く」に効果的なのはこのリピート機能です。

小さな袋などに入れる/ポケットに入れる等して持ってもらい、いつも聞かれることを録音し、リピート再生してみましょう。

いつも聞かれることが何パターンかある方は、間に空白をはさみ全てのパターンを録音しましょう。

 

例)

「今日は○年○月○日です」…空白…「通帳は息子〇〇が預かっています。」…空白…「今日はここでお泊りです。息子○〇はお泊りのことを知っています。」…

 

10分おきにリピートしたいのであれば、最後の音声のあと10分間無音にします。

 

その方の機能に合わせて、繰り返しの時間を変えて反応を見ていきましょう。

 

ミドルテクエイド-デジタルフォトフレーム

伝言板のところで注意を引くにはお孫さんやペットの写真が有効、とご紹介しました。

デジタルフォトフレームで合間にペットやお孫さんの写真を流し、伝えたいメッセージを流す方法もあります。

音を出すことも可能ですので、より注意を引き付けやすくなります。

 

 

おわりに…

介護は「優しさ」や「愛情」だけでは乗り越えることはできません。

全てを人間性に帰することなく、技術と知識を活用していく必要があります。

今回ご紹介した機器類・方法は安田先生の著書からの抜粋です。

 

 
ご興味ある方は先生のHPもご覧ください。

【ケア・介護に役立つ記憶の評価】行動・会話から「記憶」を評価するー認知症の記憶障害評価②ー

 

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前回は記憶の行動観察評価・評価スケールについてまとめました。

 

ryo-kobayashi.hatenablog.com

 それを踏まえて、今回は評価スケールをつけるにあたって、会話や行動から記憶を評価するポイントをまとめていきます。

 

 

 

会話・行動から見る記憶障害の評価

会話や行動の中で記憶をみていく上での一番のポイントは「評価」「検査」らしくしないことです。

あくまで、何気ない会話・普段の生活の中でその方の記憶障害を見ていきましょう。

 

話を聞く時の基本的な姿勢は

・受容的で穏やかな対応

・質問して考えてもらう

=反応の特徴:確信・自信・曖昧・適当

 反応の浮動性:揺れ・修正

 反応の精度:確実・曖昧:明らかな間違い

・基本的に誤りは修正しない

→まずは自由に話してもらう・答えてもらう

→様子をみて、少し修正を入れてみる。修正に対する反応(否定・取り繕い・気付き)を観察する。

 

※明らかな作話も否定することはお勧めしませんが、助長することも「現実との乖離」を大きくすることに繋がりあまりよくありません。否定も肯定もせずに傾聴した上で、早めに話題を変えるように私はしています。

 

評価のポイント・テクニック

①再生と再認を適切に使う

「昨日誰がお見舞いに来ましたか?」という質問は、「誰が」の部分を自分で思い出す「再生」を必要とします。

この質問に「娘の○〇が来ました」と答えられれば、そこまでの近時記憶の保持・再生ができていると言えます。

 

一方で、この形式の質問に答えられなかったからと言って、必ずしも記銘・保持ができていないとは言えません。

「昨日、娘さんがお見舞いにきましたか?」という形に変えると、「再認」の形になります。

この質問形式で正しく答えることができたならば、再生はできなくても保持まではできていたと評価できます。

 

「再生」の形式で聞いてみたあと、「再認」のyes/noや選択肢呈示で聞いてみることで、より多くの情報を手に入れることができます。

 

②近時記憶・遠隔記憶・展望記憶・手続き記憶を一通り見る。

「記憶の評価」というと近時記憶と展望記憶にフォーカスしてしまいがちです。

これができない!という部分は目につきやすい、ということの影響もあるかと思いますが、できる部分・保たれている機能を拾い上げることもとても大切です。

日常のケアに活かすには、むしろ保たれている部分を探すことの方が重要とも言えます。

 

手続き記憶的ですが、「習慣化」が可能かどうかの確認はケアに活かすには有効です。

施設であれば、食堂の自分の席が分かるか?自室の場所を覚えているか?

を見てみましょう。

習慣化した行動が可能であるならば、繰り返しする行動は定着できるという評価ができます。

それならば、車いすのブレーキ操作も繰り返せば定着できるのでは?という仮説を立てることができ、仮説に基づいたリハビリ的なケアを行っていく事ができます。

 

③視覚情報/言語情報/体性感覚・運動を伴う情報…それぞれに対する記憶を評価する。

「言った事を覚えているか?」だけの評価では不十分な上、今後のケアにもあまり繋がりません。

 

文字で呈示した情報はどうだったか?メモしてもらった時は?

写真や絵なら覚えていた?写真があったことは覚えていた?

 

それぞれの刺激に対して、その後の行動・反応がどうであったのかを評価しましょう。

 

そこで言語情報よりも視覚情報の方が覚えていられる、というような評価ができたならば、【スケジュールは文字+絵で呈示した方が良い】というケアが立案できます。

 

評価はケア・生活につなげていくために行っています。

 

④記憶痕跡を評価する・修正に対する反応を評価する

記憶痕跡とは、記憶が形成されたときに活性化され、その活性化が保たれたている分子がある、というようなことを言います。(おおざっぱで申し訳ないです。興味のある方は<記憶痕跡>で調べてみてください)

 

会話の中で分子の動きを評価してほしいと言うわけではなく、「記憶の痕跡・記憶のかけら」がその方にあるか、という部分は評価しておくと有用です。

 

「そんな事を聞いたような気がする。」

「そういえば、○〇でしたっけ?」

 

修正に対するこんな反応は、この方の中には記憶痕跡はありそうだと判断する材料になります。(取り繕いの反応との見極めは必要です)

 

記憶痕跡があるということは、何かもう一押しヒントやきっかけがあれば、想起までつながる可能性があります。

修正時の反応に記憶痕跡が感じられれば、想起にまで至るヒントを探していってみましょう。

 

おわりに…

記憶の評価は「この方は近時記憶に低下はあって、展望記憶は…」と専門用語をかっこよく羅列するためにするのではなくて、その方の生活をよりよくするために行うものです。

 

・当日中の記憶も曖昧で不安感が強いから、メモリーノートをつけてもらったら安心感が増すかな?

・食事を食べたことを忘れて不安になるから、食後毎回日付とメニューを手帳に書いてもらうようにしよう。繰り返したことの定着はできてるから、習慣化できるかも。

 

評価は、評価者の自己満足ではなく、ケア・生活に繋げるためのものです。

 

より良いケアに繋げるために、適切な評価を利用者さんの負担にならないように行っていきましょう!

 

参考文献

 

 

 

 

行動観察での記憶障害の評価-認知症の記憶障害評価-

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記憶障害は認知症の中核症状の一つです。

記憶障害の程度や、残存する記憶に関する機能の特性を知ることは、その方のケアをより良いものへするために必要なことです。

しかし、多くの認知症の方に対して、既存の検査バッテリーを用いた評価は負担が大きい+教示の理解困難などで実施が困難なことが多い上、生活期の施設では検査バッテリー自体が無いことがほとんどです。

 

そこで今回は生活期、検査バッテリーでの評価ができなくても可能な、【コミュニケーション・行動観察による記憶障害の評価】についてまとめていきます。

 

 

評価の前に…

いきなり評価を行う前に、情報収集を行いましょう。

 

・服薬内容

・既往歴・現病歴・合併症、バイタル

・生活歴(出身地・家族の名前・住所など)

などなど

 

①服薬内容

向精神薬の使用の有無・量を確認しましょう。

過鎮静による覚醒不良により、見当識障害・記憶障害に見える言動を呈する場合もあります。

 

②既往歴・現病歴・合併症

認知症」の診断がついている方の場合は、どのタイプの認知症であるかまで確認しましょう。(タイプ診断まではされていない方もいらっしゃいます)

 

アルツハイマー認知症では、記憶障害(近時記憶障害)は早期から生じるとされています。

脳血管型認知症では、原因となる脳血管疾患の損傷部位や範囲により記憶障害の程度はばらつきがあります。ラクナ梗塞(小さな脳梗塞)を繰り返していったような方であれば、損傷部位が情報に載っていないことも多いです。

脳画像が見られればありがたいですが、生活期だとそんなことは滅多にないですね…。

 

レビー小体型認知症では、早期には記憶障害は軽度であるとされています。パーキンソン病に伴う認知症(PDD)においても、記憶障害は進行してから現れるとされています。

 

診断がついている方は、このようにある程度記憶障害の程度の予測ができます。

先入観は邪魔になることもありますが、ある程度の予測をもって評価にあたることは有用です。

 

他にもうつ病精神疾患の有無は重要なポイントです。薬とも関連してきます。

質問に対する反応に覚えた違和感が、記憶の問題なのか、うつや精神疾患なのかに注意する必要が出てくるからです。

 

脱水や栄養バランスが崩れている際、全身状態の悪化時にも、覚醒が落ち見当識障害や記憶障害様の反応やせん妄症状を見せることがあります。

基礎疾患のコントロール状況がどうなのか、最近のバイタルがどうなのかを把握しておくことが重要です。

 

③生活歴

生活歴は記憶障害の評価で使う情報です。

こちらが正解を知っていないと、どこまでのヒントで正解できるのか/正解できないかの評価ができなくなってしまいます。

この辺りの情報は入所時に相談員さんがとってくれる情報だけでは薄いことが多いです…。

ご家族から直接聞くことができれば一番ですが、情報が取れなければある情報でできる限りの評価をしていきましょう。

 

記憶障害の行動観察指標

コミュニケーション・行動観察で記憶を評価する!バッテリーなんて使わない!

と言っても、何らかの基準がないと評価のしようがないですよね。

 

ということで、「記憶」に関する行動観察評価について紹介します。

 

CDRで見る記憶

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CDR

臨床的認知尺度(CDR)は認知症の観察評価指標としてよく用いられています。

CDRにおける記憶項目を書き出してみます。

 

健康(CDR0):記憶障害無し。時に若干の物忘れ

認知症の疑い(CDR0.5):一貫した軽い物忘れ。不完全な想起。

軽度認知症(CDR1):中等度の記憶障害。特に最近の出来事に対して。日常生活に支障。

中等度認知症(CDR2):重度の記憶障害。高度に学習した記憶は保持。新しいものはすぐに忘れる。

重度認知症(CDR3):重度の記憶障害。断片的記憶のみ残存。

 

CDRでは「近時記憶」「手続き記憶」「長期記憶」のどの記憶が障害されているのか、という部分が評価の大きなポイントになっています。

それぞれどれがどんな記憶だったかな?ということは、前にかいた記事を参照してください。

 

ryo-kobayashi.hatenablog.com

 

 

ryo-kobayashi.hatenablog.com

 

 

CDR1とCDR0.5の差は「記憶障害が日常生活に支障をきたしているかどうか」が境になっています。

・薬を飲むのを忘れてしまう。飲みすぎてしまう。

・火や電気の消し忘れ。水道の閉め忘れ

・誰から電話がかかってきたか忘れる。伝言の内容を忘れる。

こんな症状は、「記憶障害」が日常生活に支障をきたしている状態です。

 

CDR2では近時記憶障害が著明であることが示されています。

長期記憶や手続き記憶は保持されていますが、記銘力は顕著に低下し「すぐ前のことも覚えていない」状態です。

・さっきご飯を食べたことを忘れてしまう。

・自宅の住所は言えるが今いる施設の場所は分からない

 

CDR3では長期記憶や手続き記憶にも障害が生じています。

 

認知・行動チェックリストでみる記憶

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認知・行動チェックリストは、森田先生が認知機能を行動から評価するために作成されたチェックリストです。各項目を0-3点の4段階で評価します。

全ての項目は以下の論文から見ることができます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jstroke/33/3/33_3_341/_pdf/-char/ja

 

今回は認知・行動チェックリストの「記憶」部分だけを取り上げます。

 

記憶は①近時記憶②遠隔記憶③展望記憶④手続き記憶、4つの記憶の種類に分けて評価を行います。

 

①近時記憶

0点:当日中の出来事の想起が全く、あるいはほとんどできない。または作話や明らかな記憶の混同が認められる。

1点:当日中の出来事を一部正確に想起可能だが、細部が曖昧(例:人や場所を誤るなど)であったり、時系列を間違えたりする。

2点:当日中の出来事の想起はおおむね保たれている。ただし2-3日以上前の出来事になると細部が曖昧であったり、時系列に誤りが見られたりして不確実になる。

3点:2-3日前の出来事想起が良く保たれている。また1-2週間程度前の新規な出来事の想起もおおむね可能である。

 

近時記憶の各評価は想起までの時間(干渉刺激の多さ)・内容の正確さで分けられています。

覚えてから思い出すまでに干渉刺激(邪魔)が多くなると、その分忘れてしまいやすくなります。

 

このような記憶の評価は、会話の中でそれとなく聞いてみることで可能です。

大切なのは「それとなく聞く」ことです。

世間話の中で、そのままの流れで聞いていって、「検査」的にならないようにしていきましょう。

 

②遠隔記憶

0点:発症前数か月から数年にわたる明らかな逆行健忘(発症以前の出来事の記憶障害)をみとめ、自伝的記憶が損なわれている。

1点:発症前二週間以内の逆行健忘を認める。またそれ以前の記憶、特に自伝的記憶にも不正確さや記憶錯誤を認める。

2点:発症前2週間程度の記憶にあいまいさはあるが、それ以前の記憶、特に自伝的記憶はおおむね保たれている。

3点:発症以前の記憶がおおむね保たれており、特に自伝的記憶についてはよく保たれている。

 

自伝的記憶とは、自分自身の人生についての記憶です。

何人兄弟の何番目で、生まれはどこで、○〇小学校に入って、大学受験に失敗して1浪して、どこの会社に入ってどんな仕事をして、何歳で転勤して…

脳に何の障害もなければ、そうそう忘れてしまうことはない記憶です。

 

認知症の方でも「昔の記憶は保たれる」と言われますが、この自伝的記憶も保たれやすい記憶です。

脳挫傷による健忘症候群では、「逆行性健忘」が生じこの自伝的記憶も障害されてしまうことがあります。

 

自伝的記憶の評価をするには、ご本人の生活歴の情報が必須です。

 

③展望記憶

0点:スケジュールや予定、約束事を覚えておくことができず、何かするべきことがあったこと自体再認できない。

1点:スケジュールや予定、約束事を忘れてしまうことがあるが、促せば何かするべきことがあったと想起可能。ただし内容までは自力で想起できない。

2点:スケジュールや予定、約束事を忘れてしまうことがあるが、促せば何かするべきことがあったことや、内容の想起が可能である。

3点:スケジュールや予定、約束事をたまに忘れてしまうことがあるが、日常生活上の支障となりうる問題は生じない程度にとどまる。

 

「再認」とは、提示された情報が記憶として保持されているものかどうかを参照する課題(脳科学辞典)です。

テストで例えると、マークシートなど正しいものを選ぶ・選択肢のある課題は「再認」の課題です。

再認ができるということは、「内容は頭の中に保持されている」ということです。

この展望記憶の0点と1点の差は、予定や約束事の存在を「記銘し保持できているか」という部分にあります。

展望記憶には「存在想起」と「内容想起」の二つが必要であり、「存在想起」は注意機能との関連も指摘されています。*1

前頭葉損傷の方で聞けば「内容想起」ができるのに、「存在想起」ができないと言う方もいらっしゃいます。

そのようなタイプの方は、記憶だけでなく注意機能の問題も考える必要があります。

 

④手続き記憶

0点:平均により頻回に反復練習を行っても、新しい作業手順をほとんど覚えられない。

1点:平均より頻回に反復練習を行うことで、新しい作業手順の一部を習得可能である。

2点:平均より頻回に反復練習を行うことで、新しい作業手順の習得が可能である。

3点:数回行えば、新しい作業手順をおおむね習得することができる。

 

平均より頻回にってどのくらい?と私も思います…。

ただ、デイサービスのアクティビティで折り紙や手作業をしていると、すぐに覚えられる方と何回同じことを繰り返しても1つ1つ教えなければいけない方が出てきますよね?

そこの差に点数で評価をつけるとすると、この段階分けが有効ではないかと思います。

 

認知・行動チェックリストの評価詳細は下記の本(p52-53)から抜粋しております。

 

CBAで見る記憶

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CBAは何回かこのブログでも紹介させて頂きました、森田先生が開発した高次脳機能の評価スケールです。

以下の記事の中でCBAに触れていますので、興味のある方は御覧ください。

 

ryo-kobayashi.hatenablog.com

 また、CBAの評価用紙はこちらからダウンロード可能です。

www.cba-ninchikanrenkoudou.com

CBAも森田先生が作られているので、認知・行動チェックリストの評価方法と大まかには同じです。

認知・行動チェックリストが各記憶について評価するのに対し、CBAでは「記憶」としてひとまとまりに扱っています。

 

まず大きく「記憶」によって日常生活に支障が生じているか否か、を評価します。

そして当日中の記憶の想起が可能であるか、曖昧かを見ます。当日中の記憶の想起が問題なく可能であるならば、4点以上です。

4点以上ならば、2-3日前の出来事の記憶の正確性を評価します。

2日前にご家族3人が面会に来たとして、「2日前・3人全員」を正確に思い出せるならば5点。時間や人(1人が違う人、人数が違う)などが曖昧ならば4点です。

 

まとめ

特に認知・行動チェックリスト、CBAは他の項目も検査バッテリーの使えない方・施設での高次脳機能評価にとても有用です。

 

点数化することで、例えばリスク意識の評価や服薬管理が可能かどうかなどの議論をするときの根拠として使うことができるようになります。

ぜひとも活用してみてください!

 

会話・コミュニケーションから記憶を評価していくポイントについても今後まとめていきたいと思います!

 

参考文献

 

 

*1:専門医のための精神科臨床リュミエール 注意障害

食形態の特徴と適応ー①嚥下調整食学会分類について+ミキサー食の特徴と適応

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今回から何回かにわけて各食形態の特徴と、適応についてまとめていきます。

まずは食形態を考える上でかかせない【嚥下調整食学会分類】についてご紹介した後に、ミキサー食の物性・特徴と適応について勉強したことをまとめていきます。

 

嚥下調整食学会分類2013

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食形態について考えるときに、頭に入れておいてほしい図がこちらの【嚥下調整食学会分類】です。

現状各施設で使われている「ペースト食」「ソフト食」などは、同じ名前を使っていても実態が異なることが多くあります。

そのため「ペースト食」などという名称を使わずに、食形態の統一した指標として作られたのがこの学会分類です。

各項目の説明は、以下の図を参照してください。

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嚥下調整食学会分類2013:

https://www.jsdr.or.jp/wp-content/uploads/file/doc/classification2013-manual.pdf

 

経口摂取をしていない状態から嚥下訓練を進めていく際には、コード0から始めて段階的に数字が大きい方へと形態を上げていくイメージで進んでいきます。

 

0j,0tは経口摂取をしていない方に対して、直接訓練開始時に使うようなものになります。

タンパク質は誤嚥し肺に入った場合に肺炎の温床となりやすいため、0j,0tではタンパク質含有量が少ないことが条件となっています。

1jも訓練レベル、もしくは補助栄養などで用いられることが多い印象です。

 

実際に「食事」提供されるのはコード2以上の物かと思います。

それぞれの項目のポイントは【凝集性・付着性・滑らかさ(粒の有無)・硬さ・離水の有無】です。

食事の物性を考えるときは、これらの項目は注意して見る必要があります。

 

コード2相当がミキサー食、コード3-4相当がソフト食になっていて、「刻み食」はどこにもありません。

常菜(通常の硬さのおかず)を細かくしただけの刻み食は、硬い上にばらつきやすいため、「嚥下しやすく」配慮されたものとは言えません。

そのため、「嚥下調整食」の中に「刻み」の形態は入れられていません。

 

「細かくする」ことで咀嚼を補うことにはなりますが、それ以降の【食塊形成・送り込み・嚥下】に対しては不利に働きます。

 

「細かくする」ことは咀嚼を補う、と書きはしましたが、実際にはあまりに細かくすることは逆に咀嚼しにくくなる、あまりに細かくすると逆に咀嚼が多く必要となることがあるという研究が発表されています。

www.jstage.jst.go.jp

 

「刻み食」が不要かと言われると、そういうわけではありません。

ミキサー食から形態を上げていく流れを考えた時に、粒が大きくなっても対応できるか

、ばらつきが増しても大丈夫か等を評価できますし、攪拌していない分ミキサーに比し元の食事の味が感じられます。

 

単に「咀嚼が不十分だから」という理由で刻み食を選択するのは、いったん止まって考える必要があるかと思います。

嚥下機能・咀嚼機能・食の楽しみ…様々な角度から総合的に評価して形態を考える必要があります。

 

ペースト食(ミキサー食)

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ミキサー食とは

【食事をミキサーにかけてペースト状にしたもの】と定義されています。

単にミキサーにかけるだけでは凝集性は低く、流入速度も速くなってしまう可能性が高いため、ここにとろみ剤を入れてまとまりを出している施設がほとんどだと思います。

 

「食物をミキサーにかける」工程まではどこでも同じかと思います。

とろみ剤を入れるところで、何を・どのくらい入れるかによって、ミキサー食の物性が変わってしまいます。

 

ミキサー食の物性

ミキサー食は大体コード2に当たります。

 

単純にミキサーにかけただけでは、ある程度粒は残り、滑らかにはなりません。

(学会分類の言う“粒がない”“滑らか”=ゼリーやババロアの表面のイメージです。)

とろみ剤をいれてまとまりを出すので、凝集性は高いです。つまり、まとまりがあります。

とろみ剤をいれる量により硬さと付着性が変化します。

とろみ剤を多く入れると、それだけ硬さと付着性が増加します。

 

「とろみ剤入れとけば安全でしょ!」と入れすぎると、ミキサー食にそぐわない(コード2ではない)硬さと付着性になってしまいます。

 

コード2は咀嚼が不要な形態です。舌の送り込みと、単純な食塊形成能力のみで丸のみする形態です。

硬くしすぎると、唾液を混ぜて嚥下に適した食塊を作るために咀嚼様の動作が必要になります。

安全にしようという配慮が裏目に出てしまいますので、ミキサー食に更にとろみ剤を入れるのは慎重に行う必要があります。

 

ミキサー食はゼリーに比べると付着性が高いため、流入速度は遅くなります。

 この特性はゼリーに近いタイプのソフト食とミキサー食の使い分けの重要なポイントです。

 

付着性に弱いタイプの方に対しては、ゼリーに近いタイプのソフト食の方が送り込みを補助し残留の軽減に有効と考えます。

対して流入速度に弱い(嚥下反射が遅れる、嚥下反射のタイミングがずれる)方は、ミキサー食で流入速度を遅くすることで、適切なタイミングでの嚥下反射惹起が可能となる場合があります。

ミキサー食の適応

 学会分類のコード2に求められる機能は

下顎と舌による食塊形成能力および食塊保持能力

とされています。

コード2は「口腔内の簡単な操作で食塊状になるもの」という説明があるように、コード0や1に比べると多少ばらつき・凝集性の低下があります。

それを一塊にするには、舌(場合によっては下顎を代償的に使う)の運動が必要です。

実際にはミキサー食の凝集性は複雑な舌運動を必要とするほど低くないため、若干の舌・下顎の運動が可能であれば摂取できることが多いです。

 

コード2の摂取には当然それ以下のコードで求められる機能も必要であるため、

若干の送り込み能力

もミキサー食の摂取に必要です。

 

この「送り込み能力」は、実際には代償手段により補填することが可能な部分でもあります。

咽頭期機能が保たれており口腔期にのみ重度の障害が有る場合には、シリンジの先にチューブを付けたものや、ドレッシングボトルの先を長くしたものの中にミキサー食を入れて押し出すことで摂取が可能な方もいらっしゃいます。(=口腔期をスキップする)

 
イメージとしては下の【らくらくごっくん】と同じです。
口腔での送り込みをスキップして、咽頭に直接送り込み嚥下します。

あくまで咽頭期機能が保たれていることが前提ですので、ご注意ください。 

 

逆に、ミキサー食を摂取するのに必要ではない機能は咀嚼(押しつぶし・すりつぶし)です。

簡単に言い換えれば、噛まなくていいです。

そのため舌や歯茎で押しつぶす力も弱い方は、咽頭期機能が保たれていても窒息リスクが高いためミキサー食が適当かと思います。

 

食形態変更のチェックポイント

姿勢やその他の代償手段、自力摂取/介助などほかの要素の関係もありますが、形態を含め「何かを変えなければならない」時に現れるサインをまとめてみます。

 

ソフト食や刻み食からミキサー食へ変えた方が良い所見

・いつまでももぐもぐとして飲み込まない

・口の中の残留が多い

・ガラガラ声、のどから呼吸に合わせてゴロゴロ音がする

・頻回なムセ

・微熱が続く・熱発・痰の増加

 

ミキサー食からソフト食・刻み食に上げることを考える所見

特に生活期では、病院での設定がそのままで現在の能力よりも低い形態が変えられないままの利用者さんが多くいます。

安全に食べるために「形態を下げる」ことだけ考えるのではなく、生活の質を上げるため「形態を上げる」サインも敏感にキャッチしましょう!

 

・しっかりと覚醒している(JCS1桁)

・30分以内の摂取が1週間続く(誤嚥所見なしで)

・下顎の回旋運動が生じている

・舌がふっくらとしている

・聞き取りやすい声で話せる

・力強い咳ができる

 

 

ミキサー食の特徴と適応のまとめ

ミキサー食は「若干の食塊形成を行うことで嚥下ができる」形態です。

凝集性が高く、もともとほぼ食塊となっているものを、多少寄せ集めて送り込むことで嚥下できる形態です。

付着性がゼリーに比べ高いので、流入速度はゆっくりです。

粒は多少ありますが、「濃いとろみ」の副食バージョンといったイメージです。

 

利用者さんの特性・状態に合わせて、食形態を考えていきましょう!

次回に続きます!

 

参考文献 

 

 

 

【嚥下障害の食事介助】完全側臥位法のポジショニング/メリット/デメリットー完全側臥位法は重度嚥下障害に効果的か?

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◆目次◆

 

完全側臥位法とは?完全側臥位法のポジショニング

【完全側臥位法】は嚥下機能の代償法の一つです。

咽頭の解剖学的構造と重力を利用し、「重力の作用で中~下咽頭の側壁に食塊が貯留しやすくなるように体幹側面を下にした姿勢で経口摂取する方法」と定義されています。

論文による完全側臥位の姿勢は、以下の図のように規定されています。

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重度嚥下機能障害を有する高齢者診療における完全側臥位法の有用性



ポイントは上の図に記載されている4点です。

・首の側面が真下になっている。

咽頭が水平になっている

・肩と骨盤ベッド面に対し水平になっている。

⇒肩甲帯・骨盤が立っていないと、頚部ベッド面に対し水平になりにくい。

上になっている下肢を下になっている下肢より前方に出す。上になっている下肢の下にクッションを入れる(腸骨・膝・外踝が同じ高さになるように)

=安楽肢位の考え方です。

単純に肩甲帯・骨盤を立て、下肢を伸ばしていると基底面が狭くなり不安定になります。

上になっている下肢を屈曲させ前方に出すことで、支持基底面が広がり安定します。

そのままだと足だけ落ちてしまい骨盤がねじれてしまうため、クッションを入れて高さを揃えることで、骨盤をまっすぐ立たせることができます。

・下になっている腕を前方に出す。

⇒食事中ずっと腕が圧迫されることを防ぐ。

完全側臥位法のメリット=咽頭側壁に保持できる量が増える

食塊の通り道ー誤嚥喉頭侵入

完全側臥位法のメリットは、咽頭の構造と重力が働く方向を考えることで理解できます。

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 こちらは上から喉頭を見たときの図です。

上側が前、下側が後ろです。

口腔から咽頭へ送り込まれた食塊はオレンジの矢印で示したように、喉頭蓋谷を経て左右に分かれlateral food channel→梨状窩→食道入口部へと進んでいきます。

上側真ん中の喉頭蓋谷から始まり、半円を描くように食塊は進んでいきます。

声帯に囲まれた中央の穴は気管へと繋がっています

気管(声門下)に入ってしまうと「誤嚥」になります。

気管(声門下)には入らなかったけれど、喉頭には入ったことを「喉頭侵入」と言います。

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この図で青い線を内側へ超えた時が喉頭侵入、赤い線を越えた時が誤嚥です。

 喉頭侵入・誤嚥せずに飲み込むには、食塊は青い線の外側だけを通っていく必要があります。

 

食塊の動きと重力の関係

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先ほどの図は喉を水平に切ったものでしたが、この図はのどを垂直に切った図です。

先ほどは前後に位置していた喉頭蓋」と「食道」、そして「気管」の上下の位置関係を見てみてください。

喉頭蓋」が上にあり、「食道」が下にありますね。その間に気管があります。

 

水色の矢印は食塊の動きです。

上から下へと動いていくのですが、その際気管の上を通り過ぎます。

実際の嚥下時は喉頭蓋が倒れて気管を塞ぎ、塞いだところを食塊が通っていきます。

食べ物の道と、呼吸の道が、ここで交わってしまうのです。

 

食べ物が通るタイミングで喉頭蓋がうまく閉じなかったり、閉じ方が甘かったりすると、重力によって食塊は気管の中へと落ちていきます。

 

喉頭蓋閉鎖はうまくいっても、嚥下圧が色々な理由で不十分であると喉頭蓋谷や梨状窩やに食塊が残ってしまうことがあります。

残った食塊の量が喉頭蓋谷や梨状窩で保持できる量を越えてしまうと、ここれでもまた重力により引っ張られ、食塊は気管の方へ落ちていってしまいます。

 

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つまり、「食物の通り道は上→下への道」+「重力は上から下へかかる」+「食べ物の道と呼吸の道がクロスしている」ことによって、誤嚥喉頭侵入が生じやすい構造になってしまっているのです。

完全側臥位と重力①-嚥下前誤嚥ver

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90°座位の場合、咽頭は垂直に立った状態であり、食塊は上から下へ滝の流れのようにすとんと送られてきます。

その食塊の動きのスピードに、のどの動きがついてこれないと、本来気管をふさいでいる喉頭蓋が閉じないときに、既にこの図の部分に食塊が到達してしまいます。

そうすると、赤い矢印で示したようなルートで、食塊が気管に入ってしまう危険性が高くなります。

食塊が喉頭の動きよりも速いため、嚥下反射が起こる前に生じる誤嚥を【嚥下前誤嚥】と言います。

 

この嚥下前誤嚥に対する代償法としては、

・とろみをつけて流入速度を遅くする

・リクライニング位で気道を上側にすることで、重力で食塊を食道側へ動くようにする

などの対策が知られています。

 

完全側臥位は、この嚥下前誤嚥に対し有効な代償法の1つになります。

 

咽頭側壁を真下にする姿勢をとることで、

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咽頭はこのような向きになります。

食塊は赤い矢印方向へ進みます。重力は青い矢印の方向に働きます。

完全側臥位では赤い矢印方向は水平な状態であるため、スピードが抑えられます。

また重力は気管と垂直方向に働くため、食塊が重力の影響によって気管に入ってしまうリスクが抑えられます。

 

Bedup30°でも嚥下前誤嚥が生じているような場合には、完全側臥位を試してみる価値があると思います。

 

完全側臥位と重力②-嚥下後誤嚥ver.

 

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やってみよう完全側臥位法 - 誤嚥予防と口から食べられる完全側臥位、唾液誤嚥予防の回復体位

咽頭側壁を下にした完全側臥位を取ることで、喉頭蓋谷・梨状窩に加え、咽頭側壁にもある程度食塊を保持できるようになります。

完全側臥位では重力は咽頭側壁方向に働きます。足側方向へ重力がかからなくなるため、【重力に引っ張られて溢れて気管に落ちる】ことがなくなります。

 

上の図はリクライニング位と完全側臥位で咽頭に保持できる量を比べたものです。

リクライニング位では梨状窩に3cc保持できますが、完全側臥位では梨状窩+咽頭側壁にそって15-20cc保持することができます。

(着色水の咽頭貯留量は座位(4.6 ml)に比較して完全側臥位(14.2 ml)と約3 倍に達する重度嚥下機能障害を有する高齢者診療における完全側臥位法の有用性

 

つまり、完全側臥位を取ることで、リクライニング位のおよそ3倍咽頭に保持できるようになるのです。

 

保持できる量が増えるため、

咽頭残留→溢れて誤嚥】という嚥下後誤嚥を防ぐことができる!

というのが、完全側臥位をとる大きなメリットです。

 

そのため、完全側臥位は

【嚥下後誤嚥】を生じているタイプの嚥下障害でも大きな効果を発揮します。

 

完全側臥位のデメリット

①送り込みに力が必要。

bedup30°では、口腔から咽頭にかけてなだらかな傾斜が生じます。

そのため、舌で送り込む力が弱くても、重力が食塊の送り込みを補助してくれます。

しかし、完全側臥位では口腔から咽頭が水平な状態です。

水平な状態で食塊を進めるには、舌の前後運動の力が必要です。

 

また、完全側臥位では口腔内で下側になっている頬の内側に食塊がたまりやすくなります。

重力に従い頬内側に落ちてしまう食塊を、舌の横方向の運動で舌の真ん中に持ってくる動きが必要になってきます。

その運動が不十分だと、食塊は頬の内側にごっそりとたまったまま、のどの方に送り込めなくなってしまいます。

 

完全側臥位法を使うには、ある程度の口腔機能(舌・頬)が必要です。

 

咽頭リアランスはまた別の問題

前述したように、完全側臥位では

咽頭に保持できる量が90°座位やリクライニング位に比べ増えます。

90°座位やリクライニング位で咽頭残留があふれて零れ落ちて誤嚥してしまっていたけれど、完全側臥位だとその咽頭残留が零れ落ちずに保持できる。だから誤嚥していない。

 

けれど、その後はどうでしょう?

残った咽頭残留がそのままの状態で、次の一口がはいったら?

徐々に残留量が増えていけば、保持できる量が増えていたとしても、いつかは限界を超えて溢れて気管の方へ零れ落ちていってしまいます。

 

完全側臥位は咽頭腔に保持できる量を増やしますが、咽頭リアランスの向上に寄与する方法ではありません。

咽頭残留をクリアする方法は、それぞれの場合に合わせて考えていく必要があります。

 

完全側臥位法は、あくまでも咽頭に保持できる量を増やすだけです。(その部分に対してはとても有効!)

その残留をどう処理するか、どうやって咽頭に保持できた残留をクリアするのかは、その方の機能に合わせた方法を考えなければいけません。

 

完全側臥位法は、その方に合わせた咽頭リアランス方法と合わせて用いることで、安全な経口摂取に繋がっていくものです。

 

おわりに…

完全側臥位法は

「重度嚥下障害でも安全に経口摂取ができる!」

「経口摂取を諦めていた方が、完全側臥位でなら食べれた!」

と華々しいうたい文句と一緒に喧伝されており、無敵の方法のような印象を抱く方も多いかと思います。

 

そんな魔法のような方法は、残念ながらありません。

どんな手法も「用法」「用量」が大切だと、1年目の時に教わりました。

 

完全側臥位法はどんな方もたちどころに経口摂取を可能にする魔法の方法ではありませんが、それでも適応となる方に安全な経口摂取を可能とすることができる方法です。

 

完全側臥位のメリットデメリットを知り、目の前の利用者さんの機能をしっかり評価した上で、適切に使っていきたいですね!

 

参考資料

やってみよう完全側臥位法 - 誤嚥予防と口から食べられる完全側臥位、唾液誤嚥予防の回復体位

重度嚥下機能障害を有する高齢者診療における完全側臥位法の有用性

心血管性の嚥下障害に関する論文(英文和訳)【Dysphagia as an early sign of cardiac decompensation in elderly; case report】

Dysphagia as an early sign of cardiac decompensation in elderly; case report

(高齢者の心機能低下の初期徴候としての嚥下障害:ケースレポート)

本文リンク: https://academic.oup.com/ehjcr/article/4/4/1/5859002

【導入】

  嚥下障害の定義は、嚥下の困難または水分・固形物の咽頭・食道の通過(移動)が困難であることの感覚(知覚)である。

嚥下障害は嚥下の問題である中咽頭嚥下障害と、食道への食塊移送の問題である食道性嚥下障害に分類される。

嚥下障害は高齢者には一般的な病気である。病因には胃腸系から循環器疾患まで多様な幅がある。

全体としてみると、病院は運動機能低下と機械的な妨害(閉塞)に分けられるだろう。

実際に、心室や心房といった心臓の構造物が食道を外から圧迫していることを示している心血管性嚥下障害は臨床的存在として文献が書かれているが、我々の日常的な臨床で遭遇することはめったにない。

それゆえ、我々は心機能低下と急性心不全が予測される危険な兆候を示す症状を呈し、拡張した左心房が食道を圧迫していた症例を報告する。

 

 TImeline:時系列

入院時

患者は駆出率の低下を認める虚血性の拡張型心筋症を有しており、その後液体へと進行する固形物の嚥下障害を呈していた。経胸壁心エコーで拡大した左心房と左心室の駆出率は30%であることが明らかになった。

 

 

1日目

上部消化管内視鏡検査の所見は正常であった。

詳細な病歴で特筆すべきは、嚥下障害はほとんどいつも呼吸困難に続いて生じ、それらは利尿剤の投与で解決した。

 

2日目

胸部造影CTは巨大な左心房が食道中部を後方へ移動させており、中部食道を圧迫していることを明らかにした。

拡大した心房が食道を圧迫する心機能低下を伴うサイズに拡大するという、心房または心血管性嚥下障害の診断がつけられた。

多くの専門医による判断の後、我々は保守的治療を行い、また患者に嚥下障害が生じた時にループ系利尿剤を増やすように指示した。

 

2カ月

患者の体液量は臨床的に正常範囲内であり、心機能低下のための入院は不要であった。

フロセミド80mgを二週間連続して服薬したことで改善した嚥下障害のエピソードを特筆した。

 

Case Presentation:症例紹介

 

患者は76歳の高齢男性。その後液体へと進行する固形物の嚥下障害の複数の症状を認めていた。この患者は駆出率低下と左前下行枝血管形成術を行った冠動脈疾患を有していた。

服薬情報:アスピリン100mg、ラミプリル5mg、ビソプロロール5mg、アトルバスタチン40mg、フロセミド80mg、スピロノラクトン25mg

心肺・胃腸に異常所見はなかった。胸部レントゲンでは心肥大を認めた。

安静時の12誘導心電図において、サイナスリズムは虚血性の徴候を示さなかった。

経胸壁心エコーにおいて、左心室拡大、diffuse hypokinesisに関連する収縮不全により左室駆出率は30%であった。拡大した左心房は心係数53ml/m2,縦径80mm,横径43mであり、中等度から重度の僧帽弁逆流を認めた。(図1)

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図1 心エコーでは左心房拡大と左心室の僧帽弁逆流を認めた

消化器専門医の協力で、上部消化管内視鏡検査を実施し、胃腸の異常の形跡以外は正常であると分かった。

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図2食道胃十二指腸内視鏡検査は食道通路は正常であると明らかにした

詳細な現病歴を聴取したところ、嚥下障害は11か月前から始まり、ほぼ毎回1、2日前に呼吸困難を生じており、それは利尿剤の服薬後に自然に緩解すると患者は言及した。

この症状は急性心不全がきっかけの循環血液量増加に対する利尿剤投与量調整のための過去の入院時も生じていた。

その後、機械的な妨害(閉塞)を調べるため、我々は胸部造影CTを行った。

胸部造影CTにおいて、前後径81mm,横径45mmの巨大な左心房が食道中部を後方に圧迫し移動させていることが明らかになった。(図3)

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図3

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心房の嚥下障害は拡大した左心房が容積と圧力を増し、隣接する食道を圧迫するほどの心機能低下が嚥下障害を引き起こすという概念を含んでいる。

その心房の嚥下障害の診断がついた。

この嚥下障害は体液量減少による左心房の縮小に関連すると思われる利尿剤の使用後なくなった。

複数の専門医の判断により、我々は外科的な心房切開術を避けた保存的治療を行い、患者に嚥下障害が出現したときにはループ系利尿剤を増やすように指示した。

 退院2ヶ月後、患者の血液量は正常範囲内であり、心機能低下での入院加療は必要なかった。

+80mgのフロセミドの2週間連続投与により嚥下障害が改善した症状を特筆した。

discussion:考察

昨今では、嚥下障害は平均寿命の延長や肥満・逆流性食道炎の有病率の増加といった嚥下障害に繋がるリスクファクターのために、より一般的になってきている。

実際に老年期の嚥下障害は研究を必要とする深刻な症状であり、いくつかの状況では、加齢過程に関連する脳変性に起因する神経学的機能障害と相関しており、その結果、食道蠕動が変化する可能性がある。

しかしながら、食道はその解剖学的位置といくつかの隣接する臓器への近接性のために外因性圧迫の素因が非常に高く、隣接する構造の病気が食道の通過に悪影響を与える可能性があるという事実を指摘している。

大動脈による圧迫や、我々の報告のように左心房によって食道が圧迫されなかった場合の下行大動脈による食道通過障害・心血管性嚥下障害は症例の報告があった。

それ以外の場合、オルタナー症候群として知られる心血管疾患に伴って生じる左反回神経麻痺は、心血管病変によって誘発される喉頭神経麻痺と称される。

Piccoliは、TTEにおいて左心房の前後径が8cmを越えると巨大左心房と定義した。

過去には、重大な僧帽弁狭窄症は左心房の持続的な圧負荷につながり、大規模な左心房の肥大および嚥下障害を引き起こす可能性があるとされた。

リウマチ性心疾患は僧帽弁狭窄症の主病因と考えられている。それ以上に、左心房壁の固有特性を変化させ、左心房のリモデリングと拡大をもたらす可能性がある。

心血管性嚥下障害の珍しい症例の報告に加え、我々は嚥下障害の詳細な病歴を注意深くとる重要性を強調する。我々の症例では、早期の適切な利尿剤の調整を確立し、将来の更なる入院を回避することを可能にする急性心不全の興味深い予測因子となっていた。

心血管性嚥下障害はあまり一般的ではない臨床的な存在であり、よく見逃される。

解剖学的に、左心房は食道の前に位置する。

左心房拡大は、特に非代償性心不全の水分過負荷が左心房拡大を引き起こしている際の機械的圧迫による嚥下障害の潜在的な原因となる。

 

conclusion まとめ

嚥下障害は高齢者に一般的な疾患であるが、それは心血管性嚥下障害のような珍しい臨床的な疾患の存在を明らかにするかもしれない。

詳細な病歴の聴取は関連する診断の肝であり、治療者は単純な症状がより深刻な状況を防ぐための予測因子かもしれないことを忘れてはならない。

 

私的まとめ

・珍しい症例ではあるが、心不全(左心房拡大)の進行により食道の圧迫が生じる

食道の通過に問題が生じる

食道の外部圧迫が原因だったため、食道通過は固形物>液体で困難であった。

・拡大した左心房が食道を圧迫し食道通過が困難

⇒利尿剤により体液量調整

⇒心肥大の改善

⇒食道への圧迫が軽減

⇒嚥下困難の改善

 

☆慢性心不全を持っている利用者さんを評価する際は、このような事例があることを頭に置いておく必要がありますね。

(今回の症例は左心房でしたが、下行大動脈による食道通過障害(dysphagia Aortica)の症例もありました。)

 

余談ですがこの論文にちらっと出てきた【心血管疾患に伴い生じる左反回神経麻痺】も興味深いと思いました。

cardiovocal syndromeで検索してみると、僧帽弁閉鎖不全や胸部大動脈瘤により嗄声を生じた症例などが上がってきます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/orltokyo/55/5/55_279/_pdf/-char/ja

僧帽弁閉鎖不全症に起因したCardiovocal syndrome例

 

反回神経は食道や肺、心血管系の病変の影響を受けることが知られています。

たかが「嗄声」と思わず、その辺りの病気を疑ってみることも必要ですね。

 

※翻訳はgoogle翻訳を使いながらやっていますが、意味が多少違ったりおかしな文があるかと思います。

あくまで私の勉強用ですので、大筋の内容をつかめる程度の訳になっています。正確な翻訳が知りたい方は本文にアクセスし、Deeoleなどで訳してみてください。

食事の自力摂取を考える①ー失行・道具の使用障害と食事動作

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今回のテーマは

【食事の自力摂取】です。

 

介護施設、在宅での介護を行う場合は、お食事を自分で食べれるか/介助が必要か、によって介護負担が大きく変わってきます。

 

食事の自力摂取が可能かどうかの評価・判断は、

 

・道具の使用

・運動機能(麻痺・巧緻性・失調・座位の耐久性など)

・注意・覚醒・意欲(食事に集中して取り組めるか、食事時間の覚醒維持、自分で食べ始めることができるかなど)

・嚥下機能(ペーシング、咳払い等の代償手段を自力で可能か、自力摂取可能な姿勢で摂取できるだけの嚥下機能がある、など)

 

などの視点から総合的に考えていきます。

 

この記事では【道具の使用】についてまとめていきたいと思います。

 

道具の使用障害は、食事の自力摂取を妨げるか?

自力摂取の可否を評価する際の項目に「道具の使用障害」を挙げました。

しかし、「本当に、道具を使わないと自力摂取できないのか?」は一度立ち止まって考えてみていいことだと思います。

 

何故、食事をするのに道具を使わないといけないのでしょうか?

なんで手づかみで食べてはいけないのでしょうか?

その答えは「文化」「社会的通念」です。

 

日本では、食事をする際には何かしらの道具を使わなければいけない。

おにぎりやパン、お寿司など、手で食べることができる食べ物もありますが、多くの食事は箸、スプーン、フォーク(場合によってはナイフ)を使用して食べます。

 

日本の食事文化では、手を使ってたべることは基本的に「はしたないこと」とされているからです。

 

介護の現場では、スプーンがあるのに手を使って食べ始めてしまう利用者さんによくお会いします。

その様子を見かけたスタッフは駆け寄って

「○〇さん!はい!スプーンもってください!スプーンで食べましょうね!」

とスプーンを渡すか、食事を介助するかをするかと思います。

 

ここがインドやミャンマーなら、手で食べることは何の問題にもなりません。

「手で食べる」ことが当たり前の食事文化なら、「道具が使えない」ことは自力摂取を妨げる要因にはならないのです。

 

こどもならまだしも、「ちゃんとした大人」は「手づかみで食事はしない」

手づかみで食事をする方を、「ちゃんとした大人」と見なさない文化の中に私たちはいます。

だから、私たちは手づかみで食事をされることを止めます。

その方が、周りの方から「ちゃんとした大人ではない」と思われるだろうことを避け、その方の尊厳を守るためです。

 

ただの「食事動作」としてのみ「自力摂取」を考えるなら、道具が使用できなくても自力摂取は可能です。

しかし「社会的な行動」として「食事」を考える場合には、道具の使用障害は自力摂取を阻む要因となります。

 

例えばご自宅で、他人の目が無い場所で食事をするならば、手で食べることはそこまで大きな問題にはなりません。

ただ、同じことを外食でするのはその方の尊厳を傷つけることになります。

同様に、病院や施設でも個室で他の人の目がない環境で、「手で食べる」ことによって自力摂取が可能ならばその方法は考えてみる価値があると思います。

【つまんで食べられる食事を考える】のも、少し手間はかかりますが有効な方法です。

 

「自分でできる」ことを守る事も、その方の自由と尊厳を守ることに繋がります。

「道具の使用」と「自力摂取」は、社会的な面と自分でできる自由の両方の視点から考えていく必要があります。

 

使用失行と道具の使用障害

さて、ここから道具の使用障害について話を進めていきます。

単一物品の使用障害は、近年「使用失行」という言葉を使われることが多いです。

 

使用失行とは「日常慣用的に用いる道具について、知識が保たれているにも関わらず、単一で使用した場合に、左右どちらの手を使っても使用できない病態*1とされます。

 

その道具が「何」で、「何のために使うか」という知識があるにも関わらず、使うことができない状態です。

この「知識がある」という部分が、アルツハイマー認知症によって生じる「道具が使えない」状態とは異なります。

アルツハイマー認知症の方に多い「道具が使えない」状態は、失行によるものではなく意味記憶の障害であることが多いです。

 

アルツハイマー認知症による道具の使用障害とその対応

 「箸」というものの意味記憶(食事をするために使う道具である・持ち方など)が崩壊してしまうと、目の前においてある「箸」は「箸」という道具ではなく、ただの2本の棒になってしまいます。

そのため、「箸」としての使い方はできず、ただの「棒」としてお椀をたたいてみたり、ごはんに差してみたり…という行動が生じます。

 

「箸」がどんな時につかう、どんな道具か、という意味記憶が崩壊してしまったため、「箸」を見て、あるいは触れて、自発的に「箸」として使うことには困難を生じます。

しかし、このような場合にも、「手続き記憶」は保たれている場合があります。

 

手続き記憶は「体で覚えた技能の記憶」です。

毎日毎日行ってきた食事動作は、その道具の意味記憶は失われても体が覚えている可能性があります。

 

お茶碗を片手に持ってもらって、利き手に箸を持ってもらって、一口動作を誘導すると、二口目からは自分で箸を使って食事を始めることができるかもしれません。

(箸を持つのを誘導するのはとても大変ですが、スプーンでの誘導で×だけれども箸なら可能、という方もいらっしゃったので、試してみる価値はあると思います。)

 

「食具を持たせて誘導してみましょう」と、自発的に食べ始めない方への対応法でよく言われるのは、「今は食事の時間」だと分からない見当識・基盤的認知機能の問題もありますが、この手続き記憶を賦活する方法でもあります。

 

使用失行と動作区分の分類

 話が少し脱線しました。

使用失行はアルツハイマー認知症に見られるような「意味記憶の障害」ではありません。

道具の意味記憶は保たれているけれど、その道具を使用できない状態です。

 

使用失行の概念を考えるためには、「道具を使う」ということを細かく分けて考える必要があります。

 

 

道具を使う状況には「手」「道具」「対象」という3つの要素が存在します。

道具を使う場合にはこの「手」「道具」「対象」の三つがある、つまり「三者関係」が生じている場合と、「道具=対象」となり「手」、「道具=対象」の二つ「二者関係」が生じている場合に2パターンが考えられます。*2

 

二者関係とは、手と対象という二者の関係であり、対象への到達・把持動作の間は、常に二者関係にある、二者関係の対象は、「物体」あるいは「物品」であり、二者関係は「物体二者関係」と「物品二者関係」に区別できる、一般通念上の「道具」は、到達・把持動作を行っている間、二者関係で扱われるため、この間は「物品」とみなす。把持後も、次の道具としての扱い以外は、物体あるいは物品として扱う二者関係と見なす。

この一般通念上の「道具」を把持し、さらに第二の対象(道具の使用対象)に対して用いようとする、「手」-「対象(道具)」ー「第二の対象(道具の使用対象)」という縦列的関係が明確に生じている場合を三者関係とする。

※物体:対象の形状当、物理的な法則に則って扱う場合。

物品:特定の意図をもって作成されたものであり、把持の仕方等、その意図に基づいた扱われ方がある。

失行の新しい分類とADL障害;中川賀嗣;MB Med Reha No.99:23-35,2008

 

手で対象に何かをするのが「二者関係」、手で道具を使って対象に何かをするのが「三者関係」になります。

 

物体/物品二者関係と使用失行

物体二者関係は、単純にいいかえると「道具をモノとして使う」ことです。

「持つ」「握る」「つぶす」など手と物体が一体となるような行為が、物体二者関係にあたります。

 

この道具を特定の用途を持たない、ただの「モノ」として使う行為は、失行によって障害されないとされています。

 

道具には、道具としての固有性と、形状や素材などで規定される一般的な物(物体)としての二重性があって、前者が障害されても、後者の一般的な物(物体)しての理解と操作は症例1,2や以前の自験例でも保たれていたことを示している。

使用失行の発現機序について;中川賀嗣,大槻美佳,井ノ川真紀;神経心理学20;241-253,2004

 

 この「物体としての理解と操作」は生後すぐに体得する、「生得的な」動作と考えられています。*3

 

物体として扱う物体二者関係が全ての学習動作の基礎になります。

この機構に加えて左優位半球から「対象の再認情報」を加えられることで「物品二者関係」が可能になっていくとされます。

 

物品二者関係と使用失行

手の「物品」の関係を生じるには、「物品」の特性の認識が必要となります。

ボタンに対して「押す」という動作を選択する、ドアノブに対してそのドアノブの形にあった押し下げる/ひねる動作を選択するためには、物品が何かを理解し、目的・文脈に沿った動作を選択する(=意図に合わせた扱われ方をされる)必要があります。

 

この関係において生じる問題は「物品が何か分からない」ことから生じるものであり、失行には含めないとされます。

 

この部分の具体的な例として、「ボタンの押し間違い」が上記の論文には呈示されています。

例えば、テレビのリモコンのボタンを押す際に、電源ボタンの代わりに音量ボタンを誤って押した場合には、「ボタンは誤ったが、動作としては決定したボタンを正しく押した(ボタンを押すと言う動作自体は正しい)」ことになる。このような場合が、再認障害による動作内容の選択障害である。

この論文において、「物品の再認」=「物体が何か分かる」と置き換えることが可能です。

注意したいのは単にそれが何か分かる、というだけでは不十分で、【その物品の道具としての効果の知識まできちんと分かっている】必要があります。

上の例でいくと、「このボタンを押す→電源が入る」「こっちのボタンを押す→音量が上がる」という1つのボタンの持つ効果の知識を適切に賦活しアクセスできる必要があります。

 

ボタンの押し間違いは、一つ一つのボタンという「道具」の効果を十分に把握できていないために生じています。

 

ボタンという物体が呈示する形状等の情報に基づき、生得的な「押す」という動作はできても、その道具の持つ「効果」を適切に再認することができないため正しいボタンを押すことができない。

 

この「効果」も含めた「物品」の意味知識をうまく賦活できない状態は、失行とは言わない、ということを、【物品の再認障害による動作内容の選択障害】とこの論文では言っています。

(リモコン操作・電子機器の操作は失行とはまた違った機能が必要とするという論文もあります。ボタンー効果の対応の理解は、意味記憶だけでなく遂行機能等高次の機能を必要とします。*4この論文で言っているのは、失行は「使い方・操作方法」の問題であり、「目的や効果」の理解の問題ではない、ということだと考えています。

 

物品の意味記憶や行為の意味系は左半球優位に存在するとされており*5、このレベルの障害は左半球損傷で認められることが多いです。

 

この物品二者関係は「体性感覚を利用しない物品操作」とも表現されます。

このような物品操作は

「概念や知識(意味記憶)に基づいて設計図(運動企図)を発見・作成し、要素的動作から動作を組みたてて遂行すると考えられている」*6

三者関係において使用失行は生じる

 三者関係においてはじめて、「手」-「道具」-「道具の使用対象」という関係が現れます。

【道具を使って、対象に対し何かを行う】関係です。

その「道具の使い方」に誤りが生じるのが使用失行です。

使用失行では、その誤り方として、異なる道具のように用いる誤り、すなわち意味性の錯行為が生じることが指摘されてきた。その他には、保続や当惑、無反応等も指摘されている。しかし使用失行例では、こうした誤りのみでなく、三者関係動作が障害され、それに代わって道具の使用法を改めて探索しようとするような二者関係動作が見られる。

例えば、自験例ではライターをライターと正しく呼称し、たばこをつけるものと正しく説明するが、実際に火をつけられない。そのかわりにどんなふうに付けるのか考えながら、ひっくり返したり、裏を見たりといった二者関係動作が出現した。…(中略)…すなわち使用失行は、三者関係が選択的に障害された症候である可能性がある。

 失行の新しい分類とADL障害;中川賀嗣;MB Med Reha No.99:23-35,2008

 使用失行は「手」-「道具」ー「対象」の三者関係が、選択的に障害されたものとされています。

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 単一物品を正しく使用するには、手ー道具間では「正しい使用法の選択」、道具ー対象間では「正しく対象を選ぶ」必要があります。

手―道具間の「動作内容の選択障害」が、使用失行の中核とされています。

 

 物品二者関係が「体性感覚を利用しない物品操作」(主に視覚経由で感知)であったのに対し、手ー道具の関係は体性感覚を経由し行われます。

 そのため使用失行は【体性感覚情報から、使用法(動作イメージ)を喚起・駆動することの障害】

 と言い換えることができます。

道具を持った時に得られる手指肢位などの感覚情報が、その後の動作イメージ・使用法を駆動していきます。

感覚情報→動作イメージがうまくつながらないことで、誤った動作が生じてしまうことになります。

 

使用失行のリハビリテーション

 視覚経由での「物品二者関係」の障害、また、使用対象の誤りは、対象の「誤認」によると考えられています。

 「誤認」に対する対策としては、「それが何か分かるための情報をできるだけ多く提供する」ことが有効です。

 

よく認知症の方のご自宅で、電気のスイッチに「電気」と文字を貼ったりしているのを見かけますが、これも「情報を多くする」対策の1つです。

 

文字呈示・色などでの強調・関係する物品を配置する・なれた環境設定など、ヒントを多くすることによって、誤認をしにくくすることができます。

 

使用失行に関しては、「体性感覚」との関係が強く、「道具との接触」を重視した訓練の有効性が検討されています。

食事動作であれば、セラプラストをスプーンで押し広げたり、集めたりしながら、手の延長としての道具の使用を促していく方法が一つあります。

 

 
基盤的認知機能が保たれている方であれば、言語的ヒントやフィードバックが有効です。
一つ一つの動作(手首・指などの運動)を分かりやすく言語化して伝えていきましょう。
誤反応に対して徒手的誘導も有効とされています。
言語ヒントも徒手的誘導も、どちらにしても正しく効率的な動作の誘導が必要とされるため、食事動作に必要な上肢の運動を理解しておく必要があります。
 
食事動作については、また次回勉強した内容をまとめていきます。
 
参考文献
 

*1:使用失行の発現機序について;中川賀嗣,大槻美佳,井ノ川真紀;神経心理学20;241-253,2004

*2:失行の新しい分類とADL障害;中川賀嗣;MB Med Reha No.99:23-35,2008

*3:失行の新しい分類とADL障害;中川賀嗣;MB Med Reha No.99:23-35,2008

*4:アルツハイマー認知症における日用物品使用調査と「リモコン使用課題」の検討

*5:高次脳機能障害第2版 石合純夫

*6:使用失行の発現機序について