神経心理ピラミッド③
高次レベル=判断・病識(気付き)
神経心理ピラミッド高次レベルの二つ「判断」「病識」についてまとめていきます。
土台である意識・感情、その上に乗る基盤レベルの注意・情報処理・記憶、それらの機能に支えられ、「判断」「病識」は可能になります。
「あの人は病識がないから」なんて簡単に言ってしまいますが、自分自身への気付きは高次レベルの問題です。
「病識が無い」の程度によりますが、自分自身の能力や状況を正確に把握し、代償手段の必要性に気付きそれを活用していくことができるためには、とても高いレベルの力が必要とされます。
新しいRuskの神経心理ピラミッドでは、この部分を「論理的思考力(まとめ力・多様な発想力)・遂行機能」「受容」「自己同一性」と表現しています。
この表現はRuskにおいて訓練生とその家族が目指すべきゴールとの関連が大きいです。
Ben-Yishay博士は、訓練生とその家族が目指す最終ゴールを「自己同一性」の再構築とし、神経心理ピラミッドの頂上に据えた。…(中略)…損傷後の自分は確かに損傷前の自分とは違う。しかしこうした一連の努力が積み重なっていくとき、訓練生は確実に自分の可能性と新しい人生の目的を再認識することになるであろう。
前頭葉機能不全 その先の戦略 Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド:立神ショウ子p254
Ruskの通院プログラムの目指しているところは、「損傷した脳は完全に元通りには戻らない」ということを受容し、それでも「自分は自分である」「自分を好きになれる」気持ちをもって新しい人生を再構築していくことです。
土台のレベルから論理的思考力や遂行機能までの力が合わさって、私たちは自分を客観的に見つめ、「私が私であること」を認識し、自分らしく生きていくことができます。
論理的思考力・遂行機能=判断
私たちは生活する中で、常に様々な判断を行っています。
朝ごはんに何を食べるか、夕方には雨が降ると言っていたから出かけるときは傘を持っていこう、〇〇線が止まってるから代わりにバスで職場まで行こう、等々。
私たちは当たり前に、何の負荷もなくこなしていますが、これらの判断は高次脳機能の集大成です。
必要な情報を集め(あるいは似た経験を想起)、情報を統合・分析し、予測・計画を立て行動に移す。立てた計画がうまくいかなければ、別の方法を考える。
自立した生活を行っていくのに必要となるこのような力は、軽度の高次脳機能障害でも低下を認めることが多くあります。
日常生活で観察できる判断は、以下のようなものがあります。
「判断」の中にはいわゆる「遂行機能」というものも含まれます。
遂行機能は目的にかなった一連の行動をとるのに必要な全ての機能が含まれます。具体的には自ら目標を立て、計画し、外界から入力され認知された情報を適切に取捨選択し、注意を配分し、それらの情報を必要なモダリティに変換し、それらの情報に基づいて古い情報を更新し、既存の計画・方向を変更(セットの変換)し、目標を遂行するまでの機能全てを指します。*1
難しく言ってありますが、一般的に遂行機能は①目標の設定、②プランニング、③計画の実行、④効果的な行動、の四つの要素が考えられています。
そのため「遂行機能」とは、決して単一の機能ではありえません。
記憶や注意との関連はもちろんですが、他の様々な機能と結びついた総合的な力です。
遂行機能の臨床モデルでは、また別の視点から6つのカテゴリーが想定されています。
(①計画、②行動の開始、③順序化、④行動の維持、⑤問題解決、⑥自己評価と洞察、⑦修正)*2、としているものもあります。)
①発動性と動因→行動の開始
様々な情報や意志に対応するには、認知システムが活性化されなければならない。前頭葉内側領域の損傷がアパシーを引き起こし、自発的に行動を開始することができなくなることもある。
②反応抑制→行動の中止
自動反応や優勢反応の傾向を抑制する能力は、目標思考行動を柔軟に行うために不可欠である。…(中略)…反応の抑制が損なわれることにより生じる一般的な障害として挙げられるのが、衝動反応、刺激拘束性(環境刺激に過剰反応する、刺激が生じた際に反射的に行動する)と、保続(一つの反応に固執してしまい、新しい反応セットに移行することができない)である。
③課題持続性→行動の維持
注意を維持し、作業が完了するまで持続することのできる能力は、重要な遂行機能である。この能力は、作動記憶が損なわれていないかどうかに左右される。…(中略)…課題の持続は反応抑制に深く関わっている。
④体系化→行動や思考の整理
情報をどのように体系化し、順序付けるかを制御するのに関わっているのが前頭皮質である。この前頭皮質は、重要でない情報を作動記憶から消し去り、これらに反応しなくて済むようにする機能を果たしている。さらに、整理された状態で情報の検索や順序付けに必要な過程を手助けする。…(中略)…目標の同定と計画、時間間隔は機能的には体系化と関連している。
⑤生成的思考→創造性、流暢性、認知的柔軟性
問題の解決法を生み出し、柔軟に思考するための能力は、問題解決には不可欠である。前頭葉損傷により融通が利かなくなり、また狭小な思考になることもあり、そのような人は自分とは異なる見方を理解するのが難しくなることを経験する。遂行機能障害の典型的な症状の一つに、新規のアイデアを生み出すことができなくなるということがある。
⑥アウェアネス→自らの行動をモニタリングし修正する
自らの行動や感情に対して洞察力を持つ、環境からのフィードバックを取り入れて行動を修正することのできる能力は、物事をうまく遂行するには不可欠である。…(中略)…誤りを察知してそれに対応する能力を持つには、アウェアネスが必要である。
出てくるキーワードを見てみると、神経心理ピラミッド低次レベルの機能が多く含まれていることに気付くと思います。
④から先は思考力や気付きの部分になりますが、①から③までは感情や注意といった機能によるものです。
このようなところからも、遂行機能が「高次脳の総合力」であることが分かります。
最後にRuskの思考力・遂行機能の定義を引用します。
論理的思考力
①収束的思考力・まとめ力
「まとめ力」とは、話の主題や要点に的を絞る力のことである。
周辺の二義的な考えから主な考えを区別すること。離されたあるいは書かれた長いコミュニケーションの主なポイント、要点を言い直すこと、目的やゴールという形にまとめること。
②拡散的思考力・臨機応変力、あるいは多様な発想力
複数の発想を生み出す力、あるいは代わりの視点から考えられる力。発想が柔軟であることや、「共感」という言葉で表されるような、他の人のみになって考えられる力。
自分の視点を柔軟に変える。異なる選択肢を考える。その時の状況に最も適切なアプローチを選択する。
・遂行機能
順序正しく、また実際的なやり方で、問題を解決しながら計画を実行する力。
①ゴールを設定する、解決の必要な問題を考える。
②オーガナイズする。つまり、全ての情報、データ、項目を集めて分類する。
③優先順位をつける。つまり、情報、データ、項目を重要性に従ってランク付けすること。
④計画を立てる。つまり、自分のゴールのために、体系的な方法を形作る事。体系的な方法とは、ステップの連続を計画するという意味である。
⑤計画を実行する。遂行する。
⑥自己モニターする。つまり、計画を行っている間、そして行った後、誤りがないかダブルチェックする。
⑦トラブルシューティング。つまり問題の解決を考える事。
前頭葉機能不全 その先の戦略 Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド:立神ショウ子p102-103
自己への気付き・病識
神経心理ピラミッドの頂上に乗っているのが「自己への気付き」です。
この部分は新しい方の神経心理ピラミッドでは「受容」「自己同一性」と表現されています。
この「気付き」は臨床では「病識」として考えられることが多いです。
自身の障害、能力の低下に対してどの程度自覚的であるかは、その方のその後のADL・IADLの自立や社会復帰の可否に大きく影響します。
適切な病識を持ち、自身の弱み・強みを把握することで、代償手段を身に付けることができるからです。
例えば、自分は「忘れてしまう」という病識がある方は、メモをとったり、アラームを使ったり、という「代償手段」を自発的に使うことができます。
「書かないと忘れてしまう。だけど、必ず書いて、必ずメモを見るようにすれば大丈夫だ」と、自分の出来ないこと(記憶)と、できる事(メモを取り、確認する)を理解できているからです。
小川洋子さんの「博士の愛した数式」で、博士は袖にたくさんのメモを貼っていましたね。
【ぼくの記憶は80分しかもたない】
【新しい家政婦さんが来る】
80分しか持たない記憶の代償手段が、メモでした。
博士は自分自身の記憶が80分であることも忘れてしまうけれど、覚えている間にその事実を忘れないように「代償手段」を行使することができていました。
その意味では、博士の病識はかなり高いレベルであると思います。
臨床で使える病識の4つのレベルがあります。
日常会話の中から、その方の病識が4つのどのレベルであるか評価するのはとても大切う。
特に三番目の「能力理解」が不十分である方は、リスク管理も不十分であることが多くあります。
脳梗塞で、手足に麻痺がある、と口で言ってはいても、だから「一人で立ち上がるとふらついてしまう」というレベルの理解には至っておらず、一人で立ち上がり転んでしまう。
逆に言えば、危険行動の多い方は自身の「能力理解」が不十分である、と言えます。
脳卒中や脳挫傷による高次脳機能障害のリハビリでは、その方の「病識」がどのレベルり、どのように気付きを促していくかはとても難しく、重要な部分です。
その方の精神面・障害受容のレベルも注意深く見守りながら、時には適切なタイミングで「失敗させて」、何故うまくいかなかったのかを一緒に考えていくことが必要になります。
医療介護職は、基本的にとても優しい関わりをします。
その方が理解できるように、うまく表現できなくてもその方の意をくみ取るように腐心します。
失敗しないように、その方がたとえ何もしなくたって恙なく一日が終わるようにサポートします。
そのように真綿で包み込むようなサポートが全面的に必要な方もいらっしゃいますし、そのような時期もあります。
しかし、その方が自立的に生活できるようにしていくには、どこかで少しずつ「野に放つ」必要もあると思います。
医療介護職の手厚いサポートから少し外れたところで、「うまくいかない」経験が、その方に「気付き」を与えるきっかけになるかもしれません。
その方の精神面・高次脳機能の回復段階に合わせて、その方へのケアの量や提供する「配慮」は変えていく必要があります。いつまでもずっとおんぶにだっこで過ごしてもらうのは「自立に向けたケア」ではないと考えます。
多職種協同して、高次脳機能の全体像を追いながら、適切なケアを考えていくことが、質の高い「自立ケア」へ繋がっていきます。
認知症と神経心理ピラミッド
さて、ここまでの神経心理ピラミッドの話、特に今回の高次レベルの話は、脳卒中や脳挫傷などによる高次脳機能障害を念頭においています。
認知症による高次脳機能障害では、また少し話が変わってきます。
脳卒中などによる高次脳機能障害と認知症とでは、予後が全く正反対だからです。
脳卒中などによる障害は、基本的に発症時が最も重く、そこから回復していくモデルが想定されます。最初がもっとも重く、再発しない限りそこから良くなっていくことはあっても、悪くなることはありません。
一方で、認知症は進行性の疾患です。そのため、緩やかに低下していくモデルで考えられます。進行を緩やかにすることはできますが、失われた機能を取り戻すことはできません。
神経心理ピラミッドは「脳卒中などによる高次脳機能障害の回復過程についても表現している」と神経心理ピラミッド①で説明しました。
そのような「回復過程」のイメージで神経心理ピラミッドを使うことが、認知症の方に対しては難しいです。
しかしそれでも、認知症の方の高次脳機能を神経心理ピラミッドで見ることは有用です。
神経心理ピラミッドは、その方の高次脳の「全体像」を考えやすくするからです。
高次脳の「全体像」を把握することで、本当にその人にあったケアの方法を考えやすくなります。
「これができない」「あれができない」と考える前に、まず「土台はどうなのか?」を考えることが有用です。
覚醒や意識の部分が不十分であると、その上にある機能は不安定になります。
減点方式で考える前に、土台は十分に安定しているかを見てみることが大切です。
土台が揺らいでいるのなら、その上にある機能が不十分であるのは想定範囲内です。
そのような方には記憶や注意の代償手段をあれこれ考えるよりは、覚醒を上げていくための刺激入力の方が良いことがあります。
その方の高次脳の全体像を把握し、その方のレベルにあった適切なケアを選択できるようにしていきたいですね。
参考文献