ST介護職の考え事

認知症・高次脳機能・ケアについての覚え書き

ST視点で考える【ユマニチュード】

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◆目次◆

 

「ユマニチュード」って?

 

「ユマニチュード」は認知症ケアの手法の一つです。

 

ケアする人と、相手との絆をどう結ぶのか。

ケアする人が持っている優しさを、相手に伝えるにはどうしたら良いのか。

良いケアとは何なのか?どう選択したら良いのか?

 

ケアをしていく中での葛藤に対する、一つの答えをユマニチュードは呈示してくれます。

 

そんなとても頼もしく優れた認知症ケアの手法であるユマニチュードについて書かせて頂きますが、こちらに書かせていただくのはあくまで「私が受け取った」ユマニチュードの考え方です。

 

ユマニチュードに興味を持たれた方は、ぜひユマニチュードの研修に参加されることをお勧めいたします。

認知症ケア、いわゆる「困難ケース」対応の経験豊富な講師の先生方からの講義は、明日からのケアに活かせるものばかりです。

そして一緒に研修を受ける方々も、「より良いケアをしたい」との情熱を持つ方ばかりです。

認知症ケアの場で奮闘している方々と出会い繋がれる場としても、ユマニチュードの研修はとてもお勧めです!

 

本物のユマニチュードのエッセンスは、ぜひ研修で、熱心な講師の先生方から直接学んでください!!

ユマニチュード® 研修案内 – HUMANITUDE® Japon | 知覚・感情・言語による包括的ケア技法

 

 

「ユマニチュード」の考え方=哲学

 

 

ユマニチュードはイブ・ジネストとロゼット・マレスコッティの二人によって作り出された、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションメソッドです。

この技法は「ケアする人とは」「人とは」「ケアとは」を問う哲学と、それに基づいた数百を超える実践的なテクニックから成り立ちます。

(ユマニチュード入門 本田美和子,イヴ・ジネスト,ロゼット・マレスコッティ)

 

 

「ユマニチュード」はその「考え方」=「哲学」と、それに基づいた「技術」から成ります。

 

認知症ケアの手法、と聞くと技術にばかり目が行きますが、ユマニチュードはその「哲学」にこそ真価があると私は思っています。

 

「ユマニチュード」は「人間らしくある状況」という意味で命名され、「ユマニチュード」の状態とは、

その人の“人間らしさ”を尊重し続ける状況 

であるとされています。

 

ユマニチュードの根幹は、その名称が端的に表しているように、

「一人の人間として、人間らしさを尊重したケアを行うこと」につきます。

そのうえで、「人間らしさ」とは何か?

どういうケアが、「人間らしさを尊重する」ことになるのか?

ということが重ねられていきます。

 

 

「一人の人間として尊重したケア」はまだしも、「人間らしく」なんて、当然のことじゃないかと思うかもしれません。

しかしながら、それは決して、ケアの現場で当然のことではないのです。

身体機能と認知機能が低下し、日常に介助が必要になった方には、「人間らしく」対応してもらえない状況が起きえてしまう。

 

それは例えば、まだ眠たいのに起こされて車いすに座らされることかもしれない。

声もかけられないで、いきなり口にスプーンを突っ込まれることかもしれない。

よく分からない場所で服を脱がされて、大きな音のするお湯を掛けられることかもしれない。

 

どれも、私たち介護職としては理由のあることです。

 

ごはんの時間にはうとうとしてても起こさなきゃいけない。

一人で二人の食事介助をしないといけない。

お風呂に入ってもらって、清潔を保たないといけない。

 

間違いではありません。朝起こすこと、食事介助、入浴介助、全てその方にとって必要なことです。その方の生活にとって、良いことのはずです。

 

それなのに、私たちはそんな介助の度に「ごめんなさいね」「申し訳ないですね」と言っている。

良いことをしているはずなのに、そのたびに謝らなければいけない。

 

謝らなければいけないのは、やはりそれが「害のあることだ」とどこかで分かっているからだと思います。

よかれと思ってやっていることが、何故害になっているのか?

その方たちのためにと思っている私たち介護職の気持ちは、どうすれば相手に伝えることができるのか?

 

その答えが「人間らしさ」や「人間らしさを尊重するとは」という部分と繋がっていきます。

 

 

「人間らしさを尊重する」ケアとは?

 

 

ここからは私がユマニチュードの理念や技法をわたしなりに解釈したものとなりますので、ご注意ください。

 

 当たり前のことですが、

全てのケアは「その方に分かる形で提供されるのが良い」です。

 

ケアの基本もリハの基本も

【説明と同意】ですからね。

 

お風呂に入る方には、「今からお風呂に入る」と分かって入ってもらうのが良いですし、食事介助では「今からごはんを食べる」と分かってもらうのがお互いにとってベストです。

 

ただ、認知機能の低下により、そう簡単に「今からどんなケアが始まるのか」が伝わらない方がいらっしゃいます。

ケアへの拒否が生じるのはこのような方々です。

 

そんな方々に対して、ユマニチュードは「その方に分かる刺激を使いながらケアを行いましょう」と言っています。

「何をするかその方に分かってもらうために、ちゃんと手順を踏みましょう」と言っています。

 

具体的な手法は「4つの柱」や「5つのステップ」という形で説明されています。

 

それらの手法が目指しているのは、丁寧に相手の世界に入っていく事です。

相手を自分の世界に引きずりだすのではなく、自分が相手の世界に入る手がかりをさがしながら、じわじわとその世界にお邪魔しに行く事です。

そして最終的に私を、私の提供するケアを、相手に受け入れてもらうことです。

 

それは私の言葉で言えば、「その方の認知機能にあった、適切な刺激を行う事」です。

 

「お風呂に入りに行く」ということをすぐに忘れてしまうのならば、適切なタイミング情報を提供し続けることが必要です。

「さっき着替えたばっかり」と言う方の時間軸の中では、その方は着替えたばかりです。もう一度着替える必要を伝えるには、どういう声掛けがいいでしょうか?

 

「その方の世界」を考える必要があります。

その方の世界を尊重することが、「その方を一人の人間として尊重すること」に繋がります。

そして「その方の世界」にお邪魔する方法として、ユマニチュードはとても有用です。

優しく暖かく寄り添う人として、その方の世界に入ることが、ユマニチュード的なケアはスムーズに可能です。

その方に対してケアする自分はどんな人であるのかを、ユマニチュードは考えます。

その方がどんな刺激であれば心地よく受け入れることができるのか、ユマニチュードは考えています。

 

その方の認識できる形でケアを提供することで、はじめて「ケア」は「ケア」として受け取ってもらえます。

その方の世界にお邪魔して、その方に分かってもらえる形でケアを行うことで、はじめて私たちの「優しさ」は「優しさ」として届くのです。

 

ユマニチュードの副題には「優しさを伝える技術」とあります。

ただ優しいだけでは、私たちの「優しさ」は伝わらないのです。

その方の認知機能を知り、その方の世界に入る「技術」が必要です。

その方の世界にそっと入って寄り添って、より良いケアを提供できる人でありたいですね。

 

参考文献