認知症のコミュニケーション障害への対応ー話題の選び方ー
認知症の方にとって「昔の話」が一番簡単なのか?
「認知症になっても、長期記憶は比較的保たれる」
「だから、昔の話題だったら認知症の方でも楽しく話せるだろう」
そう考えて話してみて、それでもなんだかうまくいかない…話題がころころ変わってしまう…
そんなご経験をされた方、多いと思います。
認知症の方の長期記憶が比較的保たれるのはよく言われることであり、昨日の話をするよりは、その方の昔の話をした方が記憶に残っている可能性は高いです。
「話してみて」「コミュニケーションとってみて」と言われると、何となく「昔の話」をしてしまいがちですよね…。
生活歴の情報収集の側面や回想法っぽいことをやっている!という面もありますし、それが悪いわけでは決してありません。
けれど、「昔の話なら問題なくできるだろう」という先入観でいくと、うまくいかないことがあります。
果たして、「昔の話」をするのが認知症の方にとって一番簡単なのか?
ここで言う【簡単】とは、「コミュニケーション」以外にどの程度のエネルギーを要するのか、という意味です。
「相手の話を聞いて、返答する」という部分以外に、やらなければならない事が多い話題は、その方にとって「難しい話題」になるのは想像に難くないと思います。
という事で、今回は「認知症の方にとって、簡単な話題とは何か?」について考えていきます!
(妨害刺激・環境/質問呈示の方法などももちろん絡んできます。この辺りの話は、また別の所でまとめたいと思います。)
話題と認知的資源
上の図はスピーチチェーンと言って、音声言語でのコミュニケーションの過程を図式化したものです。
私たちは相手の言葉を音として聞き、頭でその内容を理解し、それに対する返答を考えます。
考えた返答を運動に変換し、構音運動により言葉を音にして相手に伝えます。
inputを行う時だけでも、私たちは普段
・聞いた言葉を保持する
・言葉を理解する
・理解した内容から返答を考える(内容に対する思考)
という少なくとも3つの事をほぼ同時に行っています。
私たちの脳をパソコンと考えてみると、「話を聞いて理解する」という処理は、それだけで既に3つのファイルを開いた状態です。
新しいパソコンなら何の問題もなくどの作業も可能ですが、容量の少ない古いパソコンではどうなるでしょうか?
少し動きが遅くなったり、もしかするとどれかが止まってしまっていたりするかもしれません。
認知症は私たちの頭にある「パソコン」の容量が小さくなってしまう病気です。
一度に一個ずつなら問題なく処理できても、Youtubeを開きながらPowerpointで資料作って、ネットで文献も調べて…なんてことをするとフリーズしてしまう…。
「話を聞いて理解する」という作業は、それだけでも複数作業の同時処理が必要になります。
それは脳のパソコンの容量をかなり消費する作業です。
何気なく行っている「コミュニケーション」は、単一の簡単な作業ではありません。
そこをまず、押さえておきましょう!
認知的資源?
「認知的資源」という考え方は、こちらの本がとても参考になります!
著者の鈴木大介さんは脳梗塞による高次脳機能障害の当事者です。
高次脳機能障害による心身の変化、高次脳機能障害のある方の前に立ち現れる「世界」がどんなものなのか、「世界」がどう感じられているのか、どのような支援が望ましいのかを分かりやすく書いてくださっています。
高次脳機能障害・認知症の方に関わる方は、ぜひとも読んでみるべき本だと思います!
話を戻します!
認知的資源とは、先ほど話した「頭の中のパソコンの容量」のようなものです。
認知症の方は、そもそも認知的資源(パソコンの容量)が少なくなっています。
それに加えて、外部環境からの刺激を受けやすくなっていたり、作業効率が悪くなっていたりと、1つの作業に使うエネルギーが大きくなっています。
だから「話」に集中してもらうには、外部からの刺激を少なくする(静かな場所で、物がごちゃごちゃしてない、人の往来が少ない…)ことがまず必要です。
その上で「話題」の選定について考えます。
認知症の方にとって「簡単」な話題とは、この「認知的資源」の消耗の少ない話題です。
認知的資源と話題
最初に例に挙げた「昔の話」について、認知的資源の視点から考えてみましょう。
「昔の話」は「昔」の「出来事」ですから、それを掘り起こして話すためには長期記憶・エピソード記憶をたどる必要があります。
この時頭のパソコンで行われる作業は
・言語理解
・質問内容の保持
・記憶をたどる
・返答を考える
おおよそこの4つを同時に行うことになります。
「記憶をたどる」+「質問の保持」はぐっと集中する、エネルギーを大きく消費する作業です。
だから、「記憶をたどる」をしている最中に「質問の保持」ができなくなってしまう…ということはよく起こります。
頭の中で「保持」しなければいけない情報が増えるほど、パソコンは容量を食われ、認知的資源は減少していきます。
逆に言えば、その情報が外部で呈示されている状況であれば、頭の中にその情報を保持しておく必要がなくなり、負担が軽くなるのです。
このようなリンゴの絵を目の前に見せたままで「リンゴは好きですか?」と聞くとします。
目の前にリンゴの絵が呈示されたままなので、「リンゴの話をしている」という部分を保持しておく負担が軽くなります。
文字理解が良好な方でしたら、プラスして文字で「リンゴは好きですか?」と書いておけば、質問内容の保持への負担がもっと軽くなります。
認知的資源から考えると、このように「現前事象」「目の前にあるもの」に関する話題がエネルギーの消耗が少なく返答しやすいです。
内容を保持する、思い出すなどの頭での作業が必要となるほど、「保持しながら、思い出しながら」考える、エネルギーを大きく使うものになり難易度が上がります。
・覚えておく
・思い出す
・考える
この要素が入ってくる程、認知的負荷は大きくなります。
認知的負荷がその方の使える認知的資源の容量をオーバーしてしまうと、どこかが零れ落ちてしまったり、キャパオーバーでもういや!!とパニックになってしまわれる方もいらっしゃいます…
「この方は昔の話をするのが嫌なんだな」「話しかけられるのが嫌なんだな」と早合点してしまう前に、話題による負荷の影響も考えてみる必要があるかと思います。
ざっくりとした話題の難易度は以下のようになります。
話題の難易度(易→難)
・快/不快(痛み、うなり声など)
・現前事象
・自己身辺事象(ADLについてなど)
・親密度の高い話題(家族の話など)
・抽象的なやりとり(政治や歴史の話、時事問題など)
おわりに…
コミュニケーションは人間が人間として生きていくために必要不可欠です。
人は人として扱われることで、人として生きていく事ができます。
「人として扱われている」と人が感じるために、コミュニケーションによる「承認」が必要です。
安易に「この人は話すのが嫌い」「話せない」「理解できない」と判断してしまうと、その方の「人としての尊厳」を大きく損なってしまいます…。
セラピスト・介護職が日々接する方々は、そんなコミュニケーションに障害がある方々が多くいらっしゃいます。
専門職としてその方々に合った適切なコミュニケーション方法を提供していきたいですね!