ST介護職の考え事

認知症・高次脳機能・ケアについての覚え書き

BPSDを考えるときに大切にしたい視点-認知症のBPSDの原因・対応を考える前に-

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認知症の中核症状・BPSD

 

認知症のケアで、一番大変なことって何ですか?」

こう聞かれたら、認知症ケアのご経験がある皆様はなんと答えますか?

今まで出会った色んな人、色んなエピソードが頭の中に浮かぶかと思います。

 

大変なことは本当に様々あって、何とか対応していくうちに手数は増えますが、それでもまたちがう大変なことが起こってきたりしますよね…。

 

私にとって大変なのは、やはり「暴力・興奮状態」ですかね…。

危ないけどそばにいたままだと収まらないし、離れたら車いすから転落するかも…。立ち上がって転ぶかも…。と冷や汗かきながら頭と身体感覚をフル稼働させることが何度もありました。

 

皆様たくさん「大変な事」が思い浮かぶかと思いますが、おそらくほとんどが

認知症の行動・心理症状=BPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia)

によるものではないかと推察します。

 

ここで一度、認知症の症状について整理してみます。

認知症の症状は、大きく

中核症状 と 行動・心理症状(BPSD)  に分けられます。

聞いたことはあると思いますが、それぞれについて少しまとめてみます。

 

 

中核症状とは?

 

中核症状とは、認知症と診断されたからには必ず出現する症状を指します。

【中核症状は、脳の障害により直接起こる症状であり、認知症患者に必ず見られる。記憶障害、見当識障害、失語、失行、失認、遂行機能障害などがある】*1

 

中核症状は、「脳の障害」によって引き起こされる症状です。

そのため中核症状では、脳がダメージを受けた部位と、出現する症状に関連があります

認知症は脳細胞の変性疾患であり、脳の細胞が徐々に死んでいってしまう病気です。脳の細胞は皮膚などの細胞と異なり、一度死んでしまったら再生することができません。

 

例えば認知症の原因疾患として最も多いアルツハイマー認知症では、初期から海馬の萎縮が認められます。

「海馬の萎縮」とは、それまで海馬を構成していた脳細胞が死んでしまったことを示します。

海馬が担う役割は「記憶」です。そのため海馬の脳細胞が死んでしまうと、記憶の障害が生じます。

アルツハイマー認知症が初期から「記銘力障害」「見当識障害」を生じるのは、「海馬」の脳細胞から障害されていくからです。

 

「記銘力障害」「見当識障害」という中核症状は、「記憶」を担う「海馬」の損傷と密接に関係しています。

 

最初の例に挙げられた失語や失行といった症状の全てが、全ての認知症の方に出現するわけではありません。

認知症のタイプや損傷されていく脳の部位によって、出現する症状は変わります。

また、認知症は進行性の疾患です。そのため初期にはなかった症状が、進行により出現ることもあります。

症状と脳の障害が対応している為、それぞれのタイプや進行によって出現する症状にある程度のパターンはあります。出てきた症状によって、その方が今どの段階にいるのかをある程度把握することもできます。

そのあたりの話はまた後日改めてまとめてみたいと思います。

 

 

BPSDとは?

 

一方でBPSDは、全ての認知症の方に現れるわけではありません。

BPSDがとても大変な方もいれば、まったく無い方もいます。

同じ一人の方でも、BPSDで大変な時期もあれば、穏やかな時期もあります。

さらに言えば、夕方は興奮して暴れてどうしようもないけれど、昼間は笑顔で「ありがとう」なんて言ってくれて天使のような方もいます。

 

【・BPSD(行動・心理症状)は、中核症状に付随して引き起こされる二次的な症状で、不眠、徘徊、幻覚、妄想などがある.

・精神科領域における周辺症状にあたり、中核症状に比べ個人差が大きく、環境にも影響される。

・中核症状よりも患者や家族の悩み・負担の原因となる場合が多いが、切な治療や対応で症状の改善が期待できる。*2

 

ここに挙げられているもの以外にもBPSDには精神症状として

妄想、誤認、幻覚、抑うつ気分、睡眠障害、不安、依存 など、

行動症状として

攻撃性、興奮、暴言、暴力、落ち着きのなさ、徘徊、逸脱行為 などがあります。

 

中核症状は脳の障害部位とある程度対応しているため個人差が小さいですが、BPSDはご本人自身の個人要因や環境との関連で生じるため個人差が大きいです。

 

BPSDへの対応の考え方

 

最近ではBPSDを

中核症状 + 環境要因 → BPSD で考えることが多いです。

一昔前は興奮して暴れる認知症の方は、「これがその人の性格だ」「この人はそういう怒りっぽくて暴れるどうしようもない人だ」と厄介者扱いされていました。

 

しかし現在ではそんな対応は許されません。

「そのようにしたのは何故だろう?」「その人はどういう理由があって暴れたのだろう?」と、その方の立場でケアを考えていくことが求められています。

 

「興奮して暴れる」というBPSDへの対応を、その方の視点で考えていく必要があります。その時に、この「中核症状+環境要因→BPSD」の図式は役に立ちます。

 

よくある「物取られ妄想」を例に考えてみましょう。

これも「妄想」ですので、BPSDの一つに含まれます。

 

例えばカンファレンスで、担当者会議で、「物取られ妄想」の対応を考えるとき、何から考えますか?

 

「お嫁さんとの関係が悪かったのかな?送り出しの時、よく口喧嘩してるし…」

「息子さん最近、お金の管理はもうさせないって言ってたな…。」

「そういえば、何にもさせてもらえないって怒ってたな…」

 

ご家族との関係性、今までの役割の喪失、プライドが傷ついて、自信がなくなっていそう。

これらが「環境要因」です。

 

BPSDへの対応を考えるとき、この「環境要因」へアプローチすることが多いです。

このケースだと「新しい役割の創出」や、「環境調整した上で、今までやっていたことを継続してもらう」などが対応として挙がってくるでしょうか。

 

一方で、「中核症状」はどうでしょう?

物取られ妄想を引き起こす中核症状には、「財布を置いた場所を忘れてしまう」という「記憶障害」があります。

 

このケースだと「財布を置く場所を決める」「しまう場所に目印をつける」などが対応として挙げられるでしょう。

 

このように、BPSDへの対応は「中核症状」「環境要因」の両方から対応を考えることが大切です。

 

特に不穏な方への対応時、環境要因のみに目が行きがちな印象を持っています。

私達の提供するケア自体が環境要因でもあるのでそうなってしまうのも分かりますが、「中核症状」の視点も重要です。

 

 

「中核症状」を考える、とは?

 

 

「暴れるから落ち着かせるように、穏やかな声掛けをしよう」というような対応は間違ってはいませんが、十分ではないように思います。

確かに、いきなり体に触れたり、後ろから声をかけることで不安や恐怖から暴力に繋がる方もいます。声掛け一つでも環境要因に含まれます。「環境要因」はとても大切です。

 

ただ、その方の認知機能・中核症状を把握していくことも同様に大切で重要です

 

私たちは、後ろから誰かが近づいていて来るのは何となく分かります。

隣の人から突然触られても、隣にずっと誰かいたことには気付いています。

 

しかし、認知症の方ではそのようなことに気付けないことがあります。

「認知機能」の低下=「中核症状」があるからです。

 

「認知」とは、周囲を認識することです。

「認知機能」とは、周囲を認識する力のことです。

認知機能の低下は、自分が置かれた環境や状況を認識する力の低下です。

つまり、その方にとっての周りの世界は「私たちが感じているように感じられているわけではない」のです。

 

環境要因からBPSDの対応を考える時、私たちは「その人の視点で」と言いながら、自分に置き換えて考えてしまいがちです。

「私がその人だったら」は優しい視点ですが、それだけではうまくいかないこともあります。

その方の認知している周囲の環境と、私が認知している環境は違うからです。

だから、「中核症状」=「認知機能」のアセスメントが必要です。

その方の感じている世界がどんなものであるか、はっきりと理解することは困難ですが、推測するための手がかりはそこにあります。

 

聴覚・視覚・触覚をはじめ、意識・記憶・注意・視空間認知・言語機能等々…

日常生活の中から、その方の認知機能を推測する手がかりを集めていきましょう。

 

「エプロンの模様に気が散るなあ。注意が落ちていそうだ。」

「大きな音がしても視線が動かない。ちょっと耳が遠そうだな。」

「視界に入ってそうだけど、目が合わないなあ」

「日中傾眠しがちで覚醒良くないなあ…」

 

こんな情報から、この方の感じている世界の片鱗が少し見えてきます。

 

ぼんやりとした夢うつつの世界。

全ての刺激が同じレベルで呈示されて、必要な刺激が際立ちにくい均質な世界。

注意の向く空間が狭まった世界。見えているけど、認識できない部分が多くある。

音はこもってなんだかよく分からない。

 

この方の感じる世界は、こんな感じなんだろう。

そんな世界にいるのに、私たちが「認識できているだろう」と私たちの感じている世界の基準で関わると、その方は「認識できていなくて」びっくりして怖くなって、それが暴力になってしまう。

 

だから、「認識できる範囲」から「認識できる形の刺激」を呈示しなければいけない。

 

「注意機能と視空間認知が低下しているから、真正面から視線を捉えて近付いていこう。

聴力の低下があるから、触れながら、口形を見せて穏やかなトーンで話しかけよう」

 

 中核症状からそんなケアの方法が導き出せれば、それはただの優しいケアではなく、ケアの「技術」になります。

 

中核症状を考えることは、その方がどんな世界の中で生きているのかを考えることです。

中核症状のアセスメントから導き出すのがケアの「技術」です。

 

その方が世界をどう認識しているのか?

その方にとって、周りはどう認識されているのか?

 

だから、どういう接し方が必要なのか。

どうすれば、その方の世界と現実との接点ができるのか。

 

その方にとって、周りの世界が今どんなものとして提示されているのか

その呈示の仕方を調整していくのが、ケアの醍醐味で面白いところだと私は思います。

 

精神論や自己犠牲ではなく、その方の世界を症状から理解しようと試みた上で、その方にとってベストなケアを技術として行っていきたいですね。

 

参考文献

 

 

 

*1:病気が見えるvol.7脳・神経第2版p425

*2:病気が見えるvol.7脳・神経第2版p425